2009年12月14日月曜日
土台
特別注文の土台用の青森産ヒバです。北海道から東北地方に見られるヒノキアスナロという日本特産の樹種にあたり、能登地方で植林されているアテと同種ですが、同じくヒバと称されても、本州から九州にかけて見られるアスナロとは違います。常緑高木で、樹高は20〜30m。鱗状の葉の形がヒノキに似ていますが、大型なので、見分け易いです。輸入材の米ヒバとは別種で、建築材に使用されるのはヒノキアスナロ(または能登アテ)の方です。
ヒバの特徴は、何と言っても虫や木材腐朽菌に強いことです。昔から「ヒバ普請の家には蚊が3年は寄り付かない」と言われ、特にシロアリに対する強さは他の樹種には見られないほどです。これは防蟻に有効な成分ヒノキチオールの含有量の多い為で、腐りにくく、耐水性があって湿気にも強く、強度もヒノキ同等で、素晴らしい土台となりそうです。
特筆すべきは、その香り。刻んでいても薫ります。ヒノキの高貴な感じとまた違って、華やかな印象です。お施主様もタンスなどに入れられたいとのことで、カンナ屑までとってあるのですが、保管庫の扉を開けると何ともいい香りに包まれます。
2009年12月5日土曜日
木工教室
今日はいつもお世話になっている生活クラブ様のご依頼で都内で木工教室を催して参りました。今回は「廃材利用でベンチを作ろう」というテーマで、数日前に準備しました。間柱や柱を割いて、雇い実(さね)も廃材から作って、はぎ付けて、天板としました。
木工ボンドが完全に乾いてから目違いを修正しなければいけないので、10セット以上となると意外と時間がかかります。
天板は厚み1寸、幅10寸5分(3寸5分×3枚)で、長さ60cm。
足は1寸×1寸6分で、長さ50cm。
寸とcmが混ぜこぜで、何だかよく判らないかも知れませんが、教室で切ったりする可能性のある面は参加者の方にも判り易いようにcmにして、あとの面は親方はじめ僕も使い慣れている尺寸で木取りしてしまいました。
当日は雨の中にも関わらず多くの方に参加して頂いて嬉しい悲鳴。すべてcmで木取りしていたら、おそらく僕は手垢のついた尺寸の曲尺を手に握りしめたまま、脳内勘ピューターが煙を噴いていたことでしょう。哀れピカピカのcm曲尺は床に放置されたままでしたが、例えていうならば、普段バリバリの大阪人が突然一切の関西弁を禁じられるぐらいの感じがございます。
後でビス穴を埋木できるように、あらかじめダボ錐で9mmの穴を揉んでから、ビス止めです。
僕らの道具はDIY用よりもパワーがあるのですが、重くて扱いにくかったかもしれません。
今回のハイライト、ルータによる飾り面取り加工です。ボーズ面、ヒョータン面、ギンナン面の3種類から選んで頂きましたが、意外にもギンナン面が一番人気。みなさん初めての体験だったそうですが、お上手でした。パチパチ!
2009年12月4日金曜日
静かなる時間
夏の終わりから秋にかけて、多数の職人さんが出入りする豪邸の工事や、リフォーム工事などが続き、電動工具の音がしない日はなかったのですが、今日は久しぶりに電気のブレーカーを下げたままの日。
次の新築邸宅用の化粧梁の鉋(かんな)かけです。昔は小僧の仕事といえば、一日中鉋かけだったそうですが、現在は機械化が進み、自動カンナ機が圧倒的なスピードで仕上げてくれます。しかしながら機械にも入らない大梁となるとそうはいきませんし、辛うじて機械に入っても幅広長尺となるとやはり仕上がりにムラが出る事もあるので、やはり昔ながらの手鉋が必要不可欠です。
鉋の歴史を調べてみると興味深く、飛鳥時代は槍鉋(やりがんな)でありました。法隆寺の宮大工の西岡常一氏は焼けた金堂を飛鳥様式で復元したいという国の方針に応えるべく、槍鉋の復元に情熱を注がれました。
<もはや実物がない古代の道具、古墳などから出土した資料を全国から集め、金堂や五重塔の柱などを調べ、槍鉋で削ったあとを計測した。これが刃の大きさを決めるもっとも有力な資料となり、10cm前後と判明した。ところが試作品がまるで切れない。
そのころ法隆寺に出入りしていた水野正範刀氏という刀匠がいた。茶人でもあり、法隆寺とつながりが深く、相談するうちに「私がやってみましょうか。」鉄は和鉄でなければならないと、法隆寺に残っていた飛鳥クギで鍛造した。古代の和クギは大きく、太い。出来上がったのは、光り方からして力があった。
扱い方は絵巻物が教えてくれた。大工の仕事ぶりが出てくる絵を調べ、体との角度は60度がいいなど、実験の積み重ねで3年の歳月をかけ習得していった。
槍鉋の復元成功で飛鳥人の美感にやっと近づけた。スプーンで切り取ったような跡になるが、そこに、あたたかみ、ぬくもりがかもし出される。>
<参考資料:日本経済新聞社「私の履歴書」宮大工棟梁・西岡常一>
その後、室町時代になると台鉋が登場し、明治時代になると一枚刃から現在のような二枚刃に。二枚の刃を合わせて使うことにより、逆目が生じるのを防ぐように考案され、日露戦争の頃、熟練大工の不足で素人のような大工にも使えるようにする必要性からだったといわれています。
白木の木組みは、木の持つ風合いが自然を身近に感じさせるとともに、その適度な吸湿性が快適な室内環境のための湿度調整の役目をはたすことが昔から知られていました。したがって、木を白木のままで使えるように仕上げる削り道具の鉋は、日本の木造建築の特徴である構造美に奉仕する道具ですね。
話がだいぶ横道にそれましたが、材料はまっすぐ仕上げなけりゃいけません。削っては刃を研いで、削っては刃を研いで、それは静かな時間でありました。
2009年12月3日木曜日
基礎配筋
現在進んでいる新築工事現場から。設計仕様なのですが、上端筋と下端筋はD13が4本づつとなっており、通常より頑丈な作りとなっております。
基礎は文字通り、住まいの耐久性、耐震性を支える一番要な部分です。大きくわけて2つの役割があり、1つは建物の重量や建物に外から加わる力(風や地震)を、均等に地盤に伝えること。もう1つは、地面の湿気から建物から守ることです。
縄文時代は基礎がなく、「掘っ立て柱」といって、地面に穴を空け、そこに柱を突っ込んだだけのものでしたが、地中部分が腐り易く、建物の重みで沈んでしまいました。そこで、突き固められた地面の上に、束石となる幅の広い玉石を置いて、その上に柱や床束を立てるようになりました。現在でも古民家やお寺などで見ることが出来る、「独立基礎」と言われるものです。自然の形の石に巧く載るように、柱を細工した大工さんの仕事を見るのは個人的趣味でありますが、現在は鉄筋コンクリートによる基礎が一般的です。
では、なぜコンクリートに鉄筋を入れるのでしょう?これはコンクリートと鉄筋がそれぞれの弱点をお互いに補い合うことが出来るからです。地震時には、その揺れによって、構造体を圧縮する力と引張る力が交互に連続してかかります。コンクリートは圧縮の力に対しては強いのですが、引張りの力には弱く、限界を超えるとすぐに崩壊してしまいます。逆に鉄筋は、そのままだと圧縮されればすぐに折れてしまいますが、引張りの力に対しては強く、限界耐力 を超えた後もすぐには崩壊せず、伸びることで崩壊を遅らせます。また、大気に触れることで錆びる鉄筋をコンクリートは不動態膜で覆うことで錆びにくくし、熱に弱い鉄筋に対し、コンクリートは熱を伝えにくいという特性を持っています。
雨が大敵の基礎工事。そういえば、全国がお天気に一喜一憂した今年7月のの皆既日食は、私は基礎のアンカーボルトレベル調整中に厚い雲の間から見ました。(笑)
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